
2018年04月06日
2018.04.05 追悼 ドクター川野こと川野信之先生 フライフィッシング 川野先生への追悼文
2009年の夏、僕は幸せだった。
当時のブログに僕が記した言葉を、そのままここに記してみる

(2009年07月17日)
「この度2009年7月スクールに入った
フライフィッシング教室だ!
難しい!しかし、面白い!
ぜんぜん出来ない、判らない…
不慣れで下手糞なのだ
「練習しないと釣れないよ」と言われた
ということは…
「練習すれば…釣れる」
ということだ!
やればデキル事ならやろうではないか!
練習した
実に地道に練習した
(中略)
なんか、
出来ない事に挑むっていいねぇ…
苦労するけど
楽しみは一生だよ」

(2009年09月10日二軒小屋ロッジにて)
これを記した日から9年の歳月が経った。
先生にお教え頂いたフライフィッシングを僕は今でもやっている。
僕だけでなく、会社の研修として、デザインを学ぶように、川や自然や山を、生命やルールを学ぶ為に、新しい土地に行き、上手い食べ物を探し心躍る「旅」に出る。株式会社マツヤマデザインの全社員がフライフィッシングを学び、それぞれ新しい気付きを手にしている。それらを教えてくれたのが川野先生だ…。
2017.08 椹島フライ研修
2017.07 MD南アルプス一週間テント泊研修
昨日、2018年4月4日、僕にフライフィッシングを教えて下さった川野先生の訃報を聞いた。
「練習しないと釣れないよ」
と言って下さった方だ、北里大学の脳外科医でありながら、語学のスキルを使いフライフィッシングの世界でも活躍された方であった。
2009年のブログを今朝、読み直してみた。
http://matuyama.hamazo.tv/e1995337.html
僕は心の底から先生に出会い、新しい世界を学ぶ事を楽しんでいた。そしてそれは今も続いている。先生から多くの事を教えて頂いた。
川野先生の訃報を心から残念に思い、御冥福を祈ります。
僕はドクター川野の教え子としてフライフィッシングの世界に最初の一歩を踏み出せた事を幸せな事だと思う。
東京出張だった僕は、その足で、先生のお通夜に向かった。
お通夜まで、時間があったので、近代美術館でロダンや岡本太郎や高村光雲を眺めた。

新宿まで出て、小田急に乗って川野先生の御通夜が行われる相模大野に向かう。
昼下がりの小田急線の快速急行の乗客は皆眠りこけ、曇り空の中を進んで行く。
お通夜が行われる会場には駅から歩いて向かった
暑いくらいだった気温が、霧のような雨のせいか、スーツ一枚では寒い。
会場には、既にサトウさんとサカイさん、スギウラさん(初対面)の静岡県の三人が既に着いていた。
スギヤマさん、タケさん、ヨネさん、N居田さん、釧路からミズグチさんまで集まっていた。
先生のお顔はあの立派な髭が綺麗にされていて、とても静かに眠っていた。
読経が始まり、煙がのぼる、
僕は不思議だけれど、「きっと先生はこの景色を眺めていらっしゃって、『ほほう…』なんて言いながら珍しそうに見ているんだろうなぁ…」と思った、先生の声が聞こえてくるようだった、きっとその感想を先生ならブログがFBに書くんだろうな、と、サトウさんの横で静かに慣れないお経を聞いていた。
会場の入口には、先生のフライボックスと著書が置かれていた。


可愛い先生のシールも飾られていた。僕も以前もらったことがある。


(ミズグチさんと僕)
会場を出ると、各地から集まったフライフィッシャーがそれぞれ挨拶を交わす、川の話、魚の話、先生の病状の話、でも、いまひとつ、その中に悲しみや嘆きの声、話は少なかった。
それは、悲しくないからではないのだ、
みんな、先生が亡くなった、先生を失った実感がその手にまだ無いのだ、少なかったのだ…と、一日経って、僕は今は思う。

今年も春がやってくる。
美しい新緑の渓流を歩く
「ああぁ、幸せだなぁ…、僕は生きている」と記した先生はもういない。
川野先生のいない夏を迎える。
帰って来て、書棚から先生の書著を改めて眺めた。
こんな分厚い辞典をこつこつ、仕事が終わった時間に、先生は一人記していったのだ。
背表紙を開くと、その一冊一冊に先生が記してくれた言葉があった。
あの白い髭と、「フォッフォッフォ」と独特な笑い声で答えてくれる姿が目に浮かぶようだ
頂いた言葉を、もう一度読みわが身に問いかける時間が僕にはまだある。
先生から頂いた知恵を、川を歩き、自分の体験を通して、身に染み込ませようと思う。
先生が歩いたように
僕も歩きたい。






※僕が受講した掛川市の「ライフスタイルデザインカレッジ」で、僕が受講した講座の講師として川野先生をキャスティングした、佐藤雄一氏の川野先生への追悼文を転載させて頂く。以下転載※
その人のことは「釣りそのものより、釣りに纏わるエピソードを、面白い表現でフライフィッシング専門誌へ寄稿する大学病院の先生」として知った。フライフィッシング用語辞典の編集や洋書の翻訳といったイメージが強いけれど、文脈に一貫して流れていたのは「愛」だったと言っていい。『フライフィッシングを通じて豊かな生活を実現する通年型カレッジ』の講師をお願いし、2006年から4年間、毎月一回 静岡県掛川市へ通ってもらった。もちろんアマゴやイワナが釣れなければ面白くないから、技術や戦術も交えた学びの場だったし、手取り足取りの指導もあった。しかし、その人が一貫していたのは「なぜボクがフライフィッシングと共にある日々を生きているか」を体現化してくれたことだ。“道具を売らんかな の釣具店講習会でもなければ、魚を釣らんかな の著名人スクールでもない、フライフィッシングによる生活提案カレッジをやりたい”と伝えると、その人は「ふむふむ、ボクの中の狂気、みたいなことを伝えれば良いのかな」と言った。酒席の話題は、珍しい酒、美味しい料理、面白い旅、気持ちいい宿、洒落た唄、そして美しい女性。その人、川野信之さんはプログラムの初回には必ずこう言った。『フライフィッシングは暇つぶしにやるものではない。真剣にやるものだ!』昨日思いがけない訃報が届き、とても悲しいけれど、先生の狂気をお裾分けしてもらったフライフィッシングの仲間たちと、今日お別れに行きます。

〈追悼 〉川野信之さん 2006年8月大井川源流二軒小屋にてフィールドレッスン。カレッジプログラムは、川野先生の概論的講義から始まり、道具類の解説と見立て、キャスティングレッスン、水棲昆虫の観察、タイイングレッスン、フィールドレッスンとすすみ、夏にはこうして合宿型の釣行体験、秋には渓流魚の産卵行動の観察、管理釣り場への釣行、釣師的忘新年会、解禁前集中タイイング大会、などなど「生活にフライフィッシングのある一年」を体験していくわけである。

<追悼>川野信之さん 2006年10月15日長野県南信濃村 旧木沢小学校にて。ライフスタルデザインカレッジの講師を引き受けていただいた1年目の秋。1年を通じてフライフィッシングの愉しみを提案するプログラムで、禁漁期の愉しみ方として遠山川へアマゴの産卵ウォッチングへ行った帰り。大きなアマゴのペアリングを観察・解説し、霜月祭りの舞台である遠山郷で、宮崎駿の千と千尋の物語に出てくる“カオナシ”のルーツとなる舞楽のお面を見たりした後、フワッと教室の席に腰掛け、廃校に関連する展示物を眺めながら「ほー、なるほどねぇ...」と感慨深そうに頷いていた。ー 場所: 木沢小学校
当時のブログに僕が記した言葉を、そのままここに記してみる
(2009年07月17日)
「この度2009年7月スクールに入った
フライフィッシング教室だ!
難しい!しかし、面白い!
ぜんぜん出来ない、判らない…
不慣れで下手糞なのだ
「練習しないと釣れないよ」と言われた
ということは…
「練習すれば…釣れる」
ということだ!
やればデキル事ならやろうではないか!
練習した
実に地道に練習した
(中略)
なんか、
出来ない事に挑むっていいねぇ…
苦労するけど
楽しみは一生だよ」
(2009年09月10日二軒小屋ロッジにて)
これを記した日から9年の歳月が経った。
先生にお教え頂いたフライフィッシングを僕は今でもやっている。
僕だけでなく、会社の研修として、デザインを学ぶように、川や自然や山を、生命やルールを学ぶ為に、新しい土地に行き、上手い食べ物を探し心躍る「旅」に出る。株式会社マツヤマデザインの全社員がフライフィッシングを学び、それぞれ新しい気付きを手にしている。それらを教えてくれたのが川野先生だ…。
2017.08 椹島フライ研修
2017.07 MD南アルプス一週間テント泊研修
昨日、2018年4月4日、僕にフライフィッシングを教えて下さった川野先生の訃報を聞いた。
「練習しないと釣れないよ」
と言って下さった方だ、北里大学の脳外科医でありながら、語学のスキルを使いフライフィッシングの世界でも活躍された方であった。
2009年のブログを今朝、読み直してみた。
http://matuyama.hamazo.tv/e1995337.html
僕は心の底から先生に出会い、新しい世界を学ぶ事を楽しんでいた。そしてそれは今も続いている。先生から多くの事を教えて頂いた。
川野先生の訃報を心から残念に思い、御冥福を祈ります。
僕はドクター川野の教え子としてフライフィッシングの世界に最初の一歩を踏み出せた事を幸せな事だと思う。
東京出張だった僕は、その足で、先生のお通夜に向かった。
お通夜まで、時間があったので、近代美術館でロダンや岡本太郎や高村光雲を眺めた。

新宿まで出て、小田急に乗って川野先生の御通夜が行われる相模大野に向かう。
昼下がりの小田急線の快速急行の乗客は皆眠りこけ、曇り空の中を進んで行く。
お通夜が行われる会場には駅から歩いて向かった
暑いくらいだった気温が、霧のような雨のせいか、スーツ一枚では寒い。
会場には、既にサトウさんとサカイさん、スギウラさん(初対面)の静岡県の三人が既に着いていた。
スギヤマさん、タケさん、ヨネさん、N居田さん、釧路からミズグチさんまで集まっていた。
先生のお顔はあの立派な髭が綺麗にされていて、とても静かに眠っていた。
読経が始まり、煙がのぼる、
僕は不思議だけれど、「きっと先生はこの景色を眺めていらっしゃって、『ほほう…』なんて言いながら珍しそうに見ているんだろうなぁ…」と思った、先生の声が聞こえてくるようだった、きっとその感想を先生ならブログがFBに書くんだろうな、と、サトウさんの横で静かに慣れないお経を聞いていた。
会場の入口には、先生のフライボックスと著書が置かれていた。


可愛い先生のシールも飾られていた。僕も以前もらったことがある。



会場を出ると、各地から集まったフライフィッシャーがそれぞれ挨拶を交わす、川の話、魚の話、先生の病状の話、でも、いまひとつ、その中に悲しみや嘆きの声、話は少なかった。
それは、悲しくないからではないのだ、
みんな、先生が亡くなった、先生を失った実感がその手にまだ無いのだ、少なかったのだ…と、一日経って、僕は今は思う。

今年も春がやってくる。
美しい新緑の渓流を歩く
「ああぁ、幸せだなぁ…、僕は生きている」と記した先生はもういない。
川野先生のいない夏を迎える。
帰って来て、書棚から先生の書著を改めて眺めた。
こんな分厚い辞典をこつこつ、仕事が終わった時間に、先生は一人記していったのだ。
背表紙を開くと、その一冊一冊に先生が記してくれた言葉があった。
あの白い髭と、「フォッフォッフォ」と独特な笑い声で答えてくれる姿が目に浮かぶようだ
頂いた言葉を、もう一度読みわが身に問いかける時間が僕にはまだある。
先生から頂いた知恵を、川を歩き、自分の体験を通して、身に染み込ませようと思う。
先生が歩いたように
僕も歩きたい。






※僕が受講した掛川市の「ライフスタイルデザインカレッジ」で、僕が受講した講座の講師として川野先生をキャスティングした、佐藤雄一氏の川野先生への追悼文を転載させて頂く。以下転載※
その人のことは「釣りそのものより、釣りに纏わるエピソードを、面白い表現でフライフィッシング専門誌へ寄稿する大学病院の先生」として知った。フライフィッシング用語辞典の編集や洋書の翻訳といったイメージが強いけれど、文脈に一貫して流れていたのは「愛」だったと言っていい。『フライフィッシングを通じて豊かな生活を実現する通年型カレッジ』の講師をお願いし、2006年から4年間、毎月一回 静岡県掛川市へ通ってもらった。もちろんアマゴやイワナが釣れなければ面白くないから、技術や戦術も交えた学びの場だったし、手取り足取りの指導もあった。しかし、その人が一貫していたのは「なぜボクがフライフィッシングと共にある日々を生きているか」を体現化してくれたことだ。“道具を売らんかな の釣具店講習会でもなければ、魚を釣らんかな の著名人スクールでもない、フライフィッシングによる生活提案カレッジをやりたい”と伝えると、その人は「ふむふむ、ボクの中の狂気、みたいなことを伝えれば良いのかな」と言った。酒席の話題は、珍しい酒、美味しい料理、面白い旅、気持ちいい宿、洒落た唄、そして美しい女性。その人、川野信之さんはプログラムの初回には必ずこう言った。『フライフィッシングは暇つぶしにやるものではない。真剣にやるものだ!』昨日思いがけない訃報が届き、とても悲しいけれど、先生の狂気をお裾分けしてもらったフライフィッシングの仲間たちと、今日お別れに行きます。

〈追悼 〉川野信之さん 2006年8月大井川源流二軒小屋にてフィールドレッスン。カレッジプログラムは、川野先生の概論的講義から始まり、道具類の解説と見立て、キャスティングレッスン、水棲昆虫の観察、タイイングレッスン、フィールドレッスンとすすみ、夏にはこうして合宿型の釣行体験、秋には渓流魚の産卵行動の観察、管理釣り場への釣行、釣師的忘新年会、解禁前集中タイイング大会、などなど「生活にフライフィッシングのある一年」を体験していくわけである。

<追悼>川野信之さん 2006年10月15日長野県南信濃村 旧木沢小学校にて。ライフスタルデザインカレッジの講師を引き受けていただいた1年目の秋。1年を通じてフライフィッシングの愉しみを提案するプログラムで、禁漁期の愉しみ方として遠山川へアマゴの産卵ウォッチングへ行った帰り。大きなアマゴのペアリングを観察・解説し、霜月祭りの舞台である遠山郷で、宮崎駿の千と千尋の物語に出てくる“カオナシ”のルーツとなる舞楽のお面を見たりした後、フワッと教室の席に腰掛け、廃校に関連する展示物を眺めながら「ほー、なるほどねぇ...」と感慨深そうに頷いていた。ー 場所: 木沢小学校
Posted by マツヤマ at 19:40│Comments(0)
│フライフィッシング
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