2018年03月09日

掛川元市長 榛村純一さんの訃報を聞いて。

掛川市の市長を長年勤められた榛村純一さんが先日無くなられた。僕は2009年に掛川市のスローライフカレッジの卒業生だった。榛村さんの提唱し実践したスローライフの活動のおかげで、僕の人生は大きく変わった。おぼろげながら見えていた灯りに対しての道が見えた。

僕が書いた2009年のブログがある。http://matuyama.hamazo.tv/e1907770.html
2009年07月17日だ。フカダさんに紹介され、この日から僕はフライフィッシングを覚え、多くの旅をし、多くの世界を知る事になる。数多くの知恵を持つ人に出会った。スローライフを実践している掛川の仲間、サトウさん、ザンマさん、北海道の仲間達、ハマノさんの思想、イヴォンさんのビジョン。旅や川で出会ったアウトドアの先達や仲間、2013年に始めた「アウトドアの学校」に賛同してくれた多くの仲間。2017年には、榛村さんのお膝元、掛川市の「炭焼の杜 明ヶ島キャンプ場」を再生するプロジェクトを引き受けることになる。そして、今春、炭焼の杜明ヶ島キャンプ場で、渓流魚を保護する為の管理釣り場「炭焼の杜 フライ&テンカラ キャッチ&リリース専用幹事釣り場」をオープンさせる。アウトドアを機軸とした現地にこだわり、スタッフ全員が研修で各地に行くスタイルの今の株式会社マツヤマデザインも榛村さんの影響が無ければ絶対に違った形になっていたと断言できる。

掛川元市長 榛村純一さんの訃報を聞いて。


僕が進んできた道は、榛村さんがかざして下さった強い灯りで照らされ、守られていた。遠い大きな背中を目指して歩いて来た。直接師事することは叶わなかったが、彼の作ってくれた大きな轍を楽しく歌を歌いながら歩いてきた道のりだった。榛村さんに導かれ、守られてきた年月であった。

今週の日曜3月11日、榛村さんのお通夜がある。僕はその日、浜松がんこ祭の代表者として最後のステージに立つ。昨年はスタッフジャンパーの責任者の色、派手な赤い色のコートで壇上に上がった。今年はかけがえの無い学びと灯りを下さった榛村さんへの追悼を示し、黒いネクタイとコートで僕は壇上に上がる。


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