2014年02月07日
2014.01 青森ツアーレポート スローライフ学会 (その3)
長くなりましたが、青森ツアーのレポートその3です(青森ツアーのレポートその1はコチラ)
生まれて初めて青森に着いて、見るもの聞く言葉も全て新鮮、おまけに食べるものも新鮮で
嬉しくて浮かれていたのですがそれだけじゃイケマセン。
今回は、大事な使命、「スローライフの会議に出席すること」があったのです。

雪の中トコトコ会場の駅前「アウガ」へ、
伊那かっぺいさんの講演をまず聞きます。

一時間、このオジサンの話し…聞くのかぁ…と正直「ツマンナイカモ…」と思っていましたが
いやいや
どーーーも
面白い!
ホント面白くて
あっという間に一時間、テーマは津軽弁でしたが、この講義、立派なエンターテイメントで、お金払っても聞きに来る価値があると思います。
お客さんを楽しませ、笑わせて、テンポ良く本当に素晴らしい話術、そして演出、見て聞いて惚れ惚れしました。

もちろん、話の中では、面白いだけでなく、青森のコト、津軽弁のコト、
全く知らない他所から来た観客に、
ある時は津軽弁のネイティブとして、
ある時は日本という国の中心からの目線で青森を見る現実を解った人間として、
二方向からじっくりと見据えた青森への愛情ある目と心、そしてインテリジェンスとセンスが無ければ、こんな素敵な講義は絶対出来ないと思いました。
僕も少しですが講義や講演をする機会もあり、その視点から見れば恐れ入って正座して学ばせていただきたいと思うほどの完成度の高さと、長年の経験を感じさせていただける素晴らしい内容でした。本当に勉強になりました。
津軽弁には、通常日本語に無い濁点があり、それらを使い、様々にコミュニケーションすること、
青森と他の東北地方との違い
青森と全国との違い、特異性、人間性
それらが、「わはは」と笑いながら、本当に良く理解できた素晴らしい講義だったと思います。
さて、その後は、会場を移して

ねぶたの家 ワラッセにて、分科会、僕は「方言」についての分科会に出席しました。
少しながら「日本語」という言葉を扱う商売で身を立てている自分が、日本という国の最北でもっとも遠くまで伝達され、変化した言葉に本当に興味がありました。(北海道は明治以降の言語なので言語変化の時間が積み重なり進化していく言語の歴史的には青森が最北・最遠だと僕は思っています)

いやいや、津軽弁、奥が深い、
僕はこの「方言」についての分科会を大きく分けて二つの観点から拝聴していました。
一つ目は、単純な興味・知識欲としての「津軽弁」の面白さ・言葉・方言の意味を知ること
二つ目は、それらの文化を、「保護していくべきかどうか?」の観点
「津軽弁を聴き・知る」という点では、残念ながらこのパネルディスカッションの機会では、壇上で生の津軽の交錯(ネイティブ同士の会話)は聞くことが出来なかったのですが(その時、かっぺいさんがご指摘頂いた「それは市場や飲み会の席でそっと聞き耳を立てているといいよ…」のアドバイスのおかげで、このあと、とても素敵な体験をさせて頂けたのですがそれは翌週のお話に…)
二つ目の、「保護していくべきかどうか?」の論点、
・最近の若い方達は、津軽弁を使わない事が多くなった…、それらを保護していくべきかどうか?
では、賛成・反対、様々な議論がなされましたが、僕個人の意見としては、かっぺいさんの言う意見に同じく
過剰な保護などはしていくべきでない、というコトに同意を感じました。
・ココに昔使った、農機具がある、これらを指し示すその農機具の「名(方言)」があったとしても、その農機具を人々が使わなくなった時、その言葉も一緒に死ぬんです。(かっぺいさん)
僕は、言葉は生き物だと思っています。それは時の流れで様々に変化し、進化し、形を変えて脈々と受け継ぎ続いていくもの。
それらを、ある一定の瞬間で、(百年なんて、人類の歴史の中で考えれば一瞬です)「保護」と言う名の「檻」に入れ、後世に残すために「瞬間冷凍」したら、その言葉と言うものは「死ぬ」のではないか?僕はそう考えています。
方言を記録し、残していくのは学者さんが昆虫標本で死んだ虫を集め記録していくようにできるのかも知れないけれど、言葉と言うものは「保護・保持」しつつ使い続けることは出来ない「生き物」では無いか?と思いました。
今日、僕の大好きなナカヤマ御老公のFB記事で、こんな記事がありました。
「大正6年(1917年)の複葉機の商業宣伝初飛行大会の新聞記事!
今日、納戸の中を整理していたら出てきました。今から97年前の新聞です。
今は亡き祖母が隣村から嫁いで来た時に持参した箪笥の引き出しの敷き紙に使われていました。」

記事には、約百年前の新聞の写真が掲載されていました。「飛行大会(ひかうたいくわい)」と記されています。
もちろん、これは新聞記事の中の文字であり、口頭で話していた「言葉」とは違いますが、それでも現在僕たちが読む新聞とはたった100年でこんなに違うのか?と感じます。言葉や文字は人が使うもの、時と共に様々に変化して変り行く生き物であり、その変化は、誰にも止められないのでは無いかと思うのです。

しかし、青森に行って気づいたことがあります。
それは、方言の言葉「単語」としては変化したり、使用しなくなっていくのでしょうが、津軽弁特有のイントネーションは、きっと残るだろうな…ということでした。
例えば、青森の方と話していると、丁寧にお話くださる言葉の中で、聞きながら「ん?」と疑問が生じて
理解するのに引っかかる部分があったのです。
それは、横文字の長い和製英語でした、文字で書くと説明しつらいのですが
例えれば「インクジェットプリンタでプリントアウト」という言葉も、津軽弁特有の上下するイントネーションで言われると
通常の「インクジェットプリンタ」のコトだと気づくのにほんのコンマ数秒理解するのに時間が掛かります。
雨と飴のように、かな文字で書けば全く同じ「言葉」でも、イントネーションで全然違う言葉に聞こえる
そのイントネーションは長く地域の言葉のDNAとしてしぶとく残って行くのでは無いか?消え難いだろうな…そう感じました。
旅をする側から無責任な意見を一言言わせて頂ければ、どうか、いつまでも津軽弁の暖かで素敵な響きが長く生き続けて欲しいと願うのでした。
さて、マジメな会は今日はひとまず終了。
会場を青森港に浮かぶ連絡線、「八甲田丸」に移して、八甲田丸を見学した後、パーティの始まりです。
ハネト姿のヤエさんが登場、司会を見事にしてくれていました、頑張れヤエさん!

青森市長が挨拶して

みんなで乾杯!

知らない方とたくさんご挨拶です

青森名物「けの汁」も出ました(毛が入ってるかとおののきましたが大丈夫だった…)

ラッセラの掛け声と演奏をしてくれる方達が登場して

ねぶた祭りの踊り方(はね方)のレクチャーの後、みんなで跳ねました

ナカタさんも、オオムラも

なんだか、お酒も回ってきて楽しくなっちゃうから不思議です

次第にみんな打ち解けて、

静岡から来たチームでご挨拶したり

すっごい楽しい話を聞かせて頂いた伊那かっぺいさんにお礼を言ったり

僕は正面に座ったタガワさんや、佐藤さん、

そして最後には市長さんのお話もははぁとアリガタクお聞かせ頂いたりして

あっっと言う間に時間は過ぎていきました。

最後はかっぺいさんのシメの言葉で終了!
その後、二次会のおすし屋さんに行きタガワさんと楽しく話したのですが、それほど終了、ホテルに帰ったけど
すこーしお腹が減ったので、深夜にゼキさんと歩いてラーメン屋さんに行ったのはナイショです。
そして、夜が明けました

天気は快晴です

僕はそこにソリがあったら朝でも乗るタイプの人間です。(ゼキさんが撮ってくれました。サンキューゼキさん!)

日曜日は、神野直彦(東京大学名誉教授)先生の講義を聞きました。
僕は、この講義を聞かせて頂き、本当に青森に行ってよかった…と思いました。
カレコレ数年、スローライフと名がつくものに、少しづつでも携わって…
おぼろげながら感じていたことを、言葉にして、定義して頂けるだけでこんなに頭の中がハッキリすることなのか…
頭のいい人の話って、聞く人間の頭の中をスッキリ整理させてもらえるものなんだ…と感動したのを今も覚えています。
■物質や利益、効率だけを追い求めるのではなく、
あるものを見つけ、それを大切にしてシアワセなじんせいを送ること。
■モノを手に入れて満足する感覚は「豊かさ」を感じさせてくれる。
しかし、モノではなく、体験や関係性に代表されるコトで満たされるのは存在欲求である「幸福感」を生む。
僕が、今、理解できる範囲で受け止めれたことはそんな事でした。
街の活性化や、拡大を求める場合は、どこまでをゴールにすればいいのだろうか?地方都市がニューヨークのようになれば、それは本当の活性化の完成なのだろうか?
仕事の効率や、お金を求めた場合、いったい貯金額が幾らになれば満足で「幸福」なのだろうか?
おぼろげながら感じていた疑問に、少し光が見えた気がします。
僕は何事も、理屈でなく、感覚で理解しようとするクセがあるのですが、分からぬ闇の中を歩くより、遠くに少し「灯り」が見えれば、その道を歩くのがとても楽しくなり、勇気が湧いてきます。それがどんな小さな光であっても、です。その「灯り」の価値は何ものにも変え難いほど貴重なものだと僕は思うのです。
お勉強をしたら、お腹が減りました。

最後は、街中のガイドツアーふたたび、

アウガの地下の市場に連れて行ってもらって

でっかいタラに驚いたり

これが高いのか安いのか頭をひねったり

タガワさんや皆が言っていた「青森県人は魚卵好き!」の現場を見てビックリしたり

飛行機の時間ギリギリまで楽しく過ごしましたが、そろそろ時間です。

荷物を取りにワラッセに戻ると、今までの穏やかな天候がウソのような吹雪になりました。

あっと言う間に駅前広場は真っ白

ここ数日、雪が降って無い、普段はこんなものじゃないんですよ…と青森の人が言っていたのが

身に染みてわかりました。これはスゴイ…

最後に記念写真を撮って

ナカタさん、ゼキさん、オオムラと四人でバスに乗り、雪の無い静岡県に仲良く帰りました。
そして、その翌週、僕はふたたび青森を訪れて、タガワさんや、加がやバーのカガワさん、ホンダさんに再会し、
さらに、そのご縁でエバトさんやコジケンさんエビさんと素敵な夜を過ごし、スローライフ的な交流型ツーリズムってこういうのなんだろうなぁ…と感じるのですが、それはまた、次のお話「二週連続青森アゲイン」に続きます。
ともあれ、「第一次 スローライフ青森ツアー」はこれにておしまい。
長い文章を読んで頂き、本当にありがとうございました。
青森に一緒に行ってくれたナカタさん、ヤエさん、ゼキさん、オオムラ本当にありがとう。
スローライフの関係者の方達や、かっぺいさん、本を教えていただいた佐藤さんを初め
青森でお世話になった方達に心からお礼を言いたいです。
ありがとうございました。心から感謝します。
まつやまたくや
関連記事@@@@@@@@@@@@@@@@@@
2014.01 青森ツアーレポート スローライフ学会 (その1)
2014.01 青森ツアーレポート スローライフ学会 (その2)
2014.01 青森ツアーレポート スローライフ学会 (その3)
2014.01 「スローライフ・フォーラムin青森」レポート(オオムラ)
生まれて初めて青森に着いて、見るもの聞く言葉も全て新鮮、おまけに食べるものも新鮮で
嬉しくて浮かれていたのですがそれだけじゃイケマセン。
今回は、大事な使命、「スローライフの会議に出席すること」があったのです。
雪の中トコトコ会場の駅前「アウガ」へ、
伊那かっぺいさんの講演をまず聞きます。
一時間、このオジサンの話し…聞くのかぁ…と正直「ツマンナイカモ…」と思っていましたが
いやいや
どーーーも
面白い!
ホント面白くて
あっという間に一時間、テーマは津軽弁でしたが、この講義、立派なエンターテイメントで、お金払っても聞きに来る価値があると思います。
お客さんを楽しませ、笑わせて、テンポ良く本当に素晴らしい話術、そして演出、見て聞いて惚れ惚れしました。
もちろん、話の中では、面白いだけでなく、青森のコト、津軽弁のコト、
全く知らない他所から来た観客に、
ある時は津軽弁のネイティブとして、
ある時は日本という国の中心からの目線で青森を見る現実を解った人間として、
二方向からじっくりと見据えた青森への愛情ある目と心、そしてインテリジェンスとセンスが無ければ、こんな素敵な講義は絶対出来ないと思いました。
僕も少しですが講義や講演をする機会もあり、その視点から見れば恐れ入って正座して学ばせていただきたいと思うほどの完成度の高さと、長年の経験を感じさせていただける素晴らしい内容でした。本当に勉強になりました。
津軽弁には、通常日本語に無い濁点があり、それらを使い、様々にコミュニケーションすること、
青森と他の東北地方との違い
青森と全国との違い、特異性、人間性
それらが、「わはは」と笑いながら、本当に良く理解できた素晴らしい講義だったと思います。
さて、その後は、会場を移して
ねぶたの家 ワラッセにて、分科会、僕は「方言」についての分科会に出席しました。
少しながら「日本語」という言葉を扱う商売で身を立てている自分が、日本という国の最北でもっとも遠くまで伝達され、変化した言葉に本当に興味がありました。(北海道は明治以降の言語なので言語変化の時間が積み重なり進化していく言語の歴史的には青森が最北・最遠だと僕は思っています)
いやいや、津軽弁、奥が深い、
僕はこの「方言」についての分科会を大きく分けて二つの観点から拝聴していました。
一つ目は、単純な興味・知識欲としての「津軽弁」の面白さ・言葉・方言の意味を知ること
二つ目は、それらの文化を、「保護していくべきかどうか?」の観点
「津軽弁を聴き・知る」という点では、残念ながらこのパネルディスカッションの機会では、壇上で生の津軽の交錯(ネイティブ同士の会話)は聞くことが出来なかったのですが(その時、かっぺいさんがご指摘頂いた「それは市場や飲み会の席でそっと聞き耳を立てているといいよ…」のアドバイスのおかげで、このあと、とても素敵な体験をさせて頂けたのですがそれは翌週のお話に…)
二つ目の、「保護していくべきかどうか?」の論点、
・最近の若い方達は、津軽弁を使わない事が多くなった…、それらを保護していくべきかどうか?
では、賛成・反対、様々な議論がなされましたが、僕個人の意見としては、かっぺいさんの言う意見に同じく
過剰な保護などはしていくべきでない、というコトに同意を感じました。
・ココに昔使った、農機具がある、これらを指し示すその農機具の「名(方言)」があったとしても、その農機具を人々が使わなくなった時、その言葉も一緒に死ぬんです。(かっぺいさん)
僕は、言葉は生き物だと思っています。それは時の流れで様々に変化し、進化し、形を変えて脈々と受け継ぎ続いていくもの。
それらを、ある一定の瞬間で、(百年なんて、人類の歴史の中で考えれば一瞬です)「保護」と言う名の「檻」に入れ、後世に残すために「瞬間冷凍」したら、その言葉と言うものは「死ぬ」のではないか?僕はそう考えています。
方言を記録し、残していくのは学者さんが昆虫標本で死んだ虫を集め記録していくようにできるのかも知れないけれど、言葉と言うものは「保護・保持」しつつ使い続けることは出来ない「生き物」では無いか?と思いました。
今日、僕の大好きなナカヤマ御老公のFB記事で、こんな記事がありました。
「大正6年(1917年)の複葉機の商業宣伝初飛行大会の新聞記事!
今日、納戸の中を整理していたら出てきました。今から97年前の新聞です。
今は亡き祖母が隣村から嫁いで来た時に持参した箪笥の引き出しの敷き紙に使われていました。」

記事には、約百年前の新聞の写真が掲載されていました。「飛行大会(ひかうたいくわい)」と記されています。
もちろん、これは新聞記事の中の文字であり、口頭で話していた「言葉」とは違いますが、それでも現在僕たちが読む新聞とはたった100年でこんなに違うのか?と感じます。言葉や文字は人が使うもの、時と共に様々に変化して変り行く生き物であり、その変化は、誰にも止められないのでは無いかと思うのです。
しかし、青森に行って気づいたことがあります。
それは、方言の言葉「単語」としては変化したり、使用しなくなっていくのでしょうが、津軽弁特有のイントネーションは、きっと残るだろうな…ということでした。
例えば、青森の方と話していると、丁寧にお話くださる言葉の中で、聞きながら「ん?」と疑問が生じて
理解するのに引っかかる部分があったのです。
それは、横文字の長い和製英語でした、文字で書くと説明しつらいのですが
例えれば「インクジェットプリンタでプリントアウト」という言葉も、津軽弁特有の上下するイントネーションで言われると
通常の「インクジェットプリンタ」のコトだと気づくのにほんのコンマ数秒理解するのに時間が掛かります。
雨と飴のように、かな文字で書けば全く同じ「言葉」でも、イントネーションで全然違う言葉に聞こえる
そのイントネーションは長く地域の言葉のDNAとしてしぶとく残って行くのでは無いか?消え難いだろうな…そう感じました。
旅をする側から無責任な意見を一言言わせて頂ければ、どうか、いつまでも津軽弁の暖かで素敵な響きが長く生き続けて欲しいと願うのでした。
さて、マジメな会は今日はひとまず終了。
会場を青森港に浮かぶ連絡線、「八甲田丸」に移して、八甲田丸を見学した後、パーティの始まりです。
ハネト姿のヤエさんが登場、司会を見事にしてくれていました、頑張れヤエさん!
青森市長が挨拶して
みんなで乾杯!
知らない方とたくさんご挨拶です
青森名物「けの汁」も出ました(毛が入ってるかとおののきましたが大丈夫だった…)
ラッセラの掛け声と演奏をしてくれる方達が登場して
ねぶた祭りの踊り方(はね方)のレクチャーの後、みんなで跳ねました
ナカタさんも、オオムラも
なんだか、お酒も回ってきて楽しくなっちゃうから不思議です
次第にみんな打ち解けて、
静岡から来たチームでご挨拶したり
すっごい楽しい話を聞かせて頂いた伊那かっぺいさんにお礼を言ったり
僕は正面に座ったタガワさんや、佐藤さん、
そして最後には市長さんのお話もははぁとアリガタクお聞かせ頂いたりして
あっっと言う間に時間は過ぎていきました。
最後はかっぺいさんのシメの言葉で終了!
その後、二次会のおすし屋さんに行きタガワさんと楽しく話したのですが、それほど終了、ホテルに帰ったけど
すこーしお腹が減ったので、深夜にゼキさんと歩いてラーメン屋さんに行ったのはナイショです。
そして、夜が明けました
天気は快晴です
僕はそこにソリがあったら朝でも乗るタイプの人間です。(ゼキさんが撮ってくれました。サンキューゼキさん!)
日曜日は、神野直彦(東京大学名誉教授)先生の講義を聞きました。
僕は、この講義を聞かせて頂き、本当に青森に行ってよかった…と思いました。
カレコレ数年、スローライフと名がつくものに、少しづつでも携わって…
おぼろげながら感じていたことを、言葉にして、定義して頂けるだけでこんなに頭の中がハッキリすることなのか…
頭のいい人の話って、聞く人間の頭の中をスッキリ整理させてもらえるものなんだ…と感動したのを今も覚えています。
■物質や利益、効率だけを追い求めるのではなく、
あるものを見つけ、それを大切にしてシアワセなじんせいを送ること。
■モノを手に入れて満足する感覚は「豊かさ」を感じさせてくれる。
しかし、モノではなく、体験や関係性に代表されるコトで満たされるのは存在欲求である「幸福感」を生む。
僕が、今、理解できる範囲で受け止めれたことはそんな事でした。
街の活性化や、拡大を求める場合は、どこまでをゴールにすればいいのだろうか?地方都市がニューヨークのようになれば、それは本当の活性化の完成なのだろうか?
仕事の効率や、お金を求めた場合、いったい貯金額が幾らになれば満足で「幸福」なのだろうか?
おぼろげながら感じていた疑問に、少し光が見えた気がします。
僕は何事も、理屈でなく、感覚で理解しようとするクセがあるのですが、分からぬ闇の中を歩くより、遠くに少し「灯り」が見えれば、その道を歩くのがとても楽しくなり、勇気が湧いてきます。それがどんな小さな光であっても、です。その「灯り」の価値は何ものにも変え難いほど貴重なものだと僕は思うのです。
お勉強をしたら、お腹が減りました。
最後は、街中のガイドツアーふたたび、
アウガの地下の市場に連れて行ってもらって
でっかいタラに驚いたり
これが高いのか安いのか頭をひねったり
タガワさんや皆が言っていた「青森県人は魚卵好き!」の現場を見てビックリしたり
飛行機の時間ギリギリまで楽しく過ごしましたが、そろそろ時間です。
荷物を取りにワラッセに戻ると、今までの穏やかな天候がウソのような吹雪になりました。
あっと言う間に駅前広場は真っ白
ここ数日、雪が降って無い、普段はこんなものじゃないんですよ…と青森の人が言っていたのが
身に染みてわかりました。これはスゴイ…
最後に記念写真を撮って
ナカタさん、ゼキさん、オオムラと四人でバスに乗り、雪の無い静岡県に仲良く帰りました。
そして、その翌週、僕はふたたび青森を訪れて、タガワさんや、加がやバーのカガワさん、ホンダさんに再会し、
さらに、そのご縁でエバトさんやコジケンさんエビさんと素敵な夜を過ごし、スローライフ的な交流型ツーリズムってこういうのなんだろうなぁ…と感じるのですが、それはまた、次のお話「二週連続青森アゲイン」に続きます。
ともあれ、「第一次 スローライフ青森ツアー」はこれにておしまい。
長い文章を読んで頂き、本当にありがとうございました。
青森に一緒に行ってくれたナカタさん、ヤエさん、ゼキさん、オオムラ本当にありがとう。
スローライフの関係者の方達や、かっぺいさん、本を教えていただいた佐藤さんを初め
青森でお世話になった方達に心からお礼を言いたいです。
ありがとうございました。心から感謝します。
まつやまたくや
関連記事@@@@@@@@@@@@@@@@@@
2014.01 青森ツアーレポート スローライフ学会 (その1)
2014.01 青森ツアーレポート スローライフ学会 (その2)
2014.01 青森ツアーレポート スローライフ学会 (その3)
2014.01 「スローライフ・フォーラムin青森」レポート(オオムラ)
Posted by マツヤマ at 23:31│Comments(0)
│2014.01 青森ツアー
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。